バレンタインデイ〜イブ編〜

 大きな駅。

 今日び、小学生にきいたってもう少し気の効いた感想が出てくるだろう。
 大きな駅。すごい数の人。
 それぞれが皆、人と人の隙間をすりぬけるようにして歩いていく。

翼はこの、他人の集合体というものが嫌いだ。電車から降りてまだ十分と歩いていないけれど、回れ右して家に直行してしまいたくなる。
 けれども、寒さや面倒臭さに鞭打って折角出て来たのが無駄になるのはもっといやなのだ。

 しかし何がどうしてこんな事になったのだったか。

 たしか三日だか四日だか前に、もうすぐバレンタインやなあ、などといきなり奴が切り込んできたのはよく覚えている。何かくれんの、と自分が返して、それから少しばかり言い争って、そうだ、コレも確かにあいつが言った。
 「ほんならお互いあげっこしよ」
 いくら頭に血が上っていたとはいえ、うかつにもOKしてしまったのは痛い。ここ最近では1、2を争う大失敗だったかもしれない。
 それから毎日毎日、奴はニコニコしながら言うのだ。
 「姫さんの手作りチョコ、ほんまに楽しみやなぁ」
 ・・・と。

 あんちくしょう、自分もちゃんと作るつもりでいるのかよ、と心の中で悪態をついてみたり。


 翼は料理が得意なほうでは無い。だから進んで料理することなど、まず無いのだ。前回調理器具を持ったのは一体何年前だっただろう?
 ましてや今回作らなくてはならないのはチョコレート。自慢じゃないが、自分は『お菓子作り』に分類される行為などはしたためしもない。先日学校の調理実習で作らされた、粉を混ぜて焼くだけのホットケーキだって直樹に作らせた。

 (自信はハッキリ言って無い。興味がないからやる気も起きない。そもそもなんだよ手作りチョコって!たかだか板チョコ買ってきて火にかけて溶かして形変えるだけじゃん。仰々しいんだよ、名称が。手作りって言うからには南米にでも行ってカカオ採って来いっつーの)
 マシンガンモノローグで怒りを燃やし、翼が勢い良く突っ込んで行った店は大型のデパート。


 早くも手作りを放棄した彼が市販のチョコを買いに走ったのは、バレンタインデー前日であった。



 さすがはビッグイベント。
 彼にしては破格の賞賛をこめた、そんな言葉が頭をよぎる。
 デパート側もこの日に賭けているのだろう、入口すぐのところに特設売り場を設置していた。置かれているチョコは多種多様を極め、それらに埋め尽くされたでかい棚やワゴンがその場を占拠している。
 それに群がるようにして、女性たちが嬉しそうに、しかしどこか真剣な表情で品定めをしている。

 (ちょっと・・・予想以上なんだけど)

 ここまでの混雑を予想していなかった翼が呆然としていると、後ろから入ってきた高校生風の女の子が一直線にそこへ向かっていくのが見えた。
 (うわっ・・・。)
 すれ違いざまに気迫のようなものをぶつけられた気がして、翼の戦闘意欲はさらに萎えた。
 (俺にチョコ渡してくる女もみんなこんな調子で買ってきてんのか・・・?)
 毎年山のように自分のもとに集まってくるチョコたちは、そのほとんどがサッカー部の面々の胃に納まる。いちど玲にも"お裾分け"しようとしたら、彼女は苦笑いしながら言ったものだ。
 「皆は翼に食べて欲しいと思って一生懸命選んだんだから、ちゃんとあなたが食べなさい。」

 玲は多分、知っていたのだろう。この光景を。
 ――この、どこか鬼気迫った空気を。

 (しっかし製菓会社の造形技術も進歩してるもんだね)
 一番すみっこの棚になんとか歩み寄った翼が手に取ったのは、可愛らしい熊の形をしたチョコ。
 この時期、こんな場所。・・・そしてチョコレート。周囲は彼を『恋人にあげるチョコを選びに来たカワイイ女の子』と認識して、疑うことも無いだろう。
 しかし翼自身はそれに納得はできない。まぁ、今回ばかりはその勘違いを利用してやろうというわけなのだが。正直なところは、とっとと買ってさっさとここを立ち去りたい。

 けれど、普段見ることのないバレンタインデーの準備期間、とでも言うのか、周囲のふわふわとした空気は、少し味わうだけなら悪くない。
 (まぁ貰うほうは熊だろうがイソギンチャクだろうが気にしないけどさ)
 熊チョコの収まったかわいらしい箱を棚に戻しながら、ナマコとかはさすがにいやだな、とどうでもいいことを考える。

 熊以外にも、恐竜、ペンギン、基本のハート型にコインチョコ、ボトルの形をしたブランデー入りのもの。すこし見て回っただけでもうんざりするほどの量である。
 (なんか気持ち悪くなってきた・・・)
 疲れた、というか目がまわった。慣れない買い物は疲労感ばかりが先に立って、楽しんでばかりもいられないようだ。

 (なんでこいつらこんな長時間見てられるんだよ・・・)
 女の買い物は長い。
 それは常に一番よいものを選び取ろうとする本能とも呼べる熱い何かなのだが・・・見た目は可憐な少女でも、中身は素晴らしく男らしい翼には到底理解できない。
 一休みしよう。・・・この店に、チョコを買いに戻ってくるかどうかは別にして。
 即行で戦線離脱を決め込むと、ふらふらと店を出て、とりあえず、近くにある本屋に向かうことにする。目の前にゲーセンもあったけれど、今は一人でゲームに没頭できる元気は無い。とにかく落ち着いた、静かなところに行きたかった。

◇◆◇◆◇


 かくして書店にはたどり着いたものの、翼の表情は険しかった。
 デパートから書店までの僅かな距離の中、いかがわしい広告のプリントされたティッシュを突き出すようにして渡してくる兄ちゃん、やたらとしつこいエステの勧誘、こっちの機嫌もお構いナシに 絡んでくるナンパ兄ちゃん。
 (どいつもこいつも、ひとの通行の邪魔する上に俺を女と間違えやがって!)
 地元では誰かに見つかるかもしれないし、と普段は決して使わない気を使い、たかだかチョコを買うためだけにこんなとこまで来たというのに。
 何だか今日は決して愉快とは呼べない時間を過ごしている気がする。
 (憶えてろよ、あのやろう・・・)
 こんなところに来なければならない事態を作り上げてくれた人物を思い浮かべながら、ひっそりと拳を握り締め、翼は口元だけで微笑んだ。
 八つ当たり対象も決定した。気をとりなおして、とまではいかないけれど、とにかく気分転換だ。

 書店は大きな町の店だけあって品揃えはなかなか良いようだ。普通の書店では意外と揃えの悪いサッカー雑誌のコーナーには、地元では見かけない雑誌が結構ある。目ぼしい雑誌を見つけて、パラパラとめくってみる。
 (あ、これマサキが欲しがってたヤツだ)
 目の前の棚に見知ったタイトルを見つけて手を止める。確か地元の本屋で直樹と三人、一緒に探し回って、結局その時はみつからなかったのだ。
 (買っておいてやるか)
 大判の雑誌を棚から引っ張り出して、平積みになっている旅行雑誌の上に忘れないように置いて。
 そこでふと、魔がさしたかのように隣の棚に目が行ってしまった。

 『かんたん手作りチョコレート』
 『はじめてのお菓子作り』

 (・・・・・・)
 妙にはずんだ色使いで印刷された本たちからそっと視線を外し、見なかったことにしよう、と、雑誌に目を戻そうとした時。

 『姫さんの手作りチョコ、ほんまに楽しみやなぁ』

 ふにゃ〜、っと笑って言う、あの脳天気そうな顔がポコっと浮かんでしまった。
 (そういうおまえはちゃんと作ってんのかよ)
 彼の家庭科の成績が意外に良いのは知っている。本人が作ると言い出したからには作っているのかも知れない。
 (ていうか、俺がちゃんと作ってくと思ってんのかよ)

 途端に罪悪感のようなものが沸いてくるのはどうしてなのか。
 (なんだよ、あいつが勝手に言い出したことだろ)
 なにもあげないと言っているわけではないのだし、現に今日はチョコを選びに来たせいで、こんなに疲れているんだし。
 そう思うのだけれども、もう雑誌に集中することもできなくなってしまった。
 読んでいた雑誌をぱちん、と閉じて、大きくため息をつく。


 (あいつが勝手に言い出した大抵のことを、最後にはいつも叶えてやりたくなっちゃうのはどうしてなんだろうね?)

 ため息に負けないくらい大きく息を吸い込んでみる。

 (食えないようなもんが出来上がっても絶対全部食わせてやる・・・)
 読みかけのその雑誌と、さっき出しておいた雑誌、それからやけっぱちだといわんばかりに『手作りチョコレート』と名のつくタイトルの本を適当に抱え、翼はレジへ向かった。

 「う〜、むかつく」
 外へ出て、一言そういって。

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続。(02/14up)

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