スペシャルデート。



「デートしよ」

 関西弁独特のイントネーションに乗った言葉が耳に入ってからその意味を解するまでに、恐らく十数秒はかかったろうと思う。
 手の中の携帯電話からはまだ何か言う声がしていたようだったけれど、しかし基本的には優秀な頭脳が理解したと同時に、指は勝手に終話ボタンを押していた。
「誰?」
 テーブルを挟んで正面に座った五助が訊いてくる。
「イタズラ電話」
「フーン」
 素っ気ない答えにさっさと興味を無くしたようで、五助はそれ以上は何も訊いてこない。そのまま、目の前のチョコレートがたっぷり入ったスコーンに大きな口で齧り付いていた。翼もそれにつられるように、携帯電話を持っていないほうの手で器用にフォークを使い、一口大に切り分けたマフィンを口に運んだ。
液晶画面は睨んだままで。

 学校帰りに寄った人気のコーヒーショップには、自分たち三人のほかにも多くの学生たちが放課後ののんびりとしたひとときを満喫している。
「履歴で着信拒否設定しとけば」
 ハムとチーズのサンドイッチの最後の一片を口に放り込みながら、隣に座った柾輝が言う。
 翼は無言で着信履歴を表示して見せた。
「…公衆電話、」
 今時、と付け加えて、柾輝は空になったサンドイッチの包み紙を丸めてトレーの角に転がした。  長い指から紙片が離れるのをボーッと目で追いかけながら翼はケータイを手元に戻し、そのまま電源を切った。
「あ〜ナンか部活ないと気が抜けるな」
スコーンを食べ終えて、次のデニッシュにとりかかっていた五助が言い、
「この間の中間で赤点取ったの誰だよ」
 ブラックのままのコーヒーをすすりながら柾輝が言う。
「直樹」
 が、五助は悪びれず言ってくる。
「あと保っちゃんも」
 彼は正規の部員ではないが、道連れは多いほうが良いのだ。…要するに、タダでさえ少ない部員のうちの3人(一応)もが追試を課せられてしまったのである。そのため、今日は急遽部活を休みにし、明日の追試に向けての、椎名先生による講習会が開かれることになったのだった。
「そういや遅せーなアイツら」
 テーブル上の好い位置にあった柾輝のPHSの時刻表示を覗きこんで、翼が眉をしかめた。
 成績のみならず、普段から素行も悪いというのがサッカー部に対する飛葉中教師陣の見解である。そのなかでも直樹の脱色ヒヨコ頭は非常に目立つ。すでに何度か指導を受けているはずなのだが、当人は黒くしてくるつもりなど、それこそ毛頭ないらしい。しかし飛葉中は特に身なりを厳しく指導する傾向にあるようで、直樹一人だけ、明日の追試のみならず、今日の放課後も職員室に呼び出されてお説教をくらっているのだ。
「そういえば桜上水はどうなんだろな」
「ハ?」
 思いもかけない指摘が正面から入り、とっさに翼はらしくない、間の抜けた声をあげてしまった。
「なにが?」
「だってホラ、11番!アイツ直樹よりハデだったじゃねぇ?アレ許されてんのかな〜ってさ」
「・・・アレは許されねぇだろ」
 先日の試合で見た姿を思い出しながら言っているのだろう、柾輝が苦笑しながら返す。

 脱色した長髪、それに両耳に派手に開けたピアス。  ・・・確かに、アレが義務教育において許されているとは思えない。

 二人が話しているのをすこし遠くで聞きながら、翼は電源を切られた携帯をちょっと気にしていた。

   デートしようと言っていた。それ自体は決して嫌なことではない。翼だってコイビトと出かけるのは嬉しいし、多分とても楽しいだろうと思う。
 しかし『デート』という単語。
 それが素晴らしい威力でもって、翼に拒ませるのだ。

 『デート』。なんとハズカシイ響きを有する言葉なのだろうか。


  「あ」
 柾輝のPHSがふいに鳴った。
「直樹だ」
 そのまま通話をオンにしたものの、店内は携帯で会話するには雑音が多い。聞こえねぇ、を連発しながら、柾輝は店から出て行った。
「直樹、来たのかな」
「店の場所は説明しておいたから、そろそろ着く頃だろうね」
 何かと目に付く携帯をカバンにしまおうと手に取り。
 差した人影に顔を上げると。
「あ?」
 ガッチリと目が合って、ヒクっと頬が引きつった。

「よぉ、姫さん」
 シゲはいたって爽やかに挨拶してきた。

 その右手には、何かのメッセージのようにテレホンカードが握られていたけれど。

◇◆◇◆◇


「や〜、なんっか知らんけどついさっきソコのゲーセン前で会うてなぁ」
「そうそう」
「ほんでちぃっとばっかし話し込んでたらなんや、コイツも赤点のうえに今日先公に呼び出し食らったちゅうねん」
「そうそう」
「じゃー俺らで勉強教えたるっちゅうんで連れてきたわけや!」
「よろしゅう!」
 ハッハッハッ、と笑いあう二人はほとんど漫才コンビだった。さらに金髪に関西弁の二人連れとあってはさぞ目立ったことだろう。
「あぁ・・・そう」
 向かっているのは翼の家である。
「しかしずりーよなぁ、ノート提出してれば追試無しってよぉ!」
 心底悔しそうに五助がぼやく。保と実弟が追試を免れたのがよほど納得いかないらしい。
「要するに普通に暮らしてる生徒なら追試なんて無いわけだ」
 そもそも自分たち以外の生徒の口から、『追試』なんて単語は出ていなかった。
「椎名センセ、よろしくな」
 にこー、っと全開の笑顔を向けられて、翼もぎこちなく笑って見せた。

 とんだデートになったなぁ、と思いながら。

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