『ヒマワリ』
「あっちー!!」
「そのうちぜってー死人出るって!!」
新生飛葉中サッカー部に夏休みはない。
蜃気楼のたちこめるグラウンドからは、午後になってひとけが消えた。
「ハイハイ、今日はここまでにしといてやるよ」
キャプテンのありがたい一言で灼熱地獄からの離脱を許されたメンバーは、ばて切った体に鞭を打って水飲み場までダッシュする。
「あー!!なんで水道からお湯が出んねん!!」
「冷たい水じゃねーと飲む気おきねぇー!!」
一着・直樹と二着・六助がほぼ同時に叫んだ。
蛇口を全開に捻ってみても、そこからは温い水しか出てこないらしい。
「はよ冷たくなれ〜」
冷たい水が出るまで待つことにしたらしい直樹が、全ての蛇口を全開にしていく。
おそらくこうして水不足というものが起こるのだろう。
てろてろと歩いてきた柾輝はその様子を見ながらひっそりとそう思う。確かに、全国各地でこれをやられたらダムも干上がるかもしれない。背後から鋭い声が飛んだのはその時だった。
「お前らそんなことしてる余裕があるんなら汗だけ流してコンビニ行けよ、ただでさえ暑いんだから更に気温上げるような暑っ苦しいマネしてんじゃねー」
新生サッカー部のキャプテンを襲名して日は浅いが、すでに部内で翼に逆らえるものは誰もいない。
首にひっかけてあるタオルで流れてくる汗を拭きながら、柾輝は声の発生源を確認するように振り返る。
ちょうど目の真下の辺りを、赤い髪が過ぎていった。
「そんなこと言うたかて真夏に水道からお湯やで!?」
「そんなん冬に出てほしいっつーの」
なあ!?と頷き合う、直樹と六助の息はピッタリ合っている。
「ハイハイ、分かったからそこどけ」
まだブーブー言っている二人を適当にあしらい、そのまま勢いよく飛沫を上げる水道の下に頭を突っ込もうと、翼が身をかがめたとき。
「あ!ちょっと待った!」
更に背後から待ったがかかった。
「何だよ保?」
柔道部からの助っ人要員・保が体育館のほうを指差しながら言う。
「柔道場ならちゃんとしたシャワー室とかあるけど?汗流すならそっち行かないか?」
「へ、マジかいな?そんなのウチのガッコにあったん?」
「全員一気に入れんの?」
「直樹、六助・・・お前ら何で知らないんだよ・・・?」
それは柔道の授業に出席していないからである。
「この人数なら全員入れるよ。鍵、取ってこようか」
「・・・いや、それよりもっと良い事考えた」
保、直樹、六助、五助、それに柾輝の『何ごとか』という視線を集め、翼はにっこりと、綺麗な微笑を浮かべた。
・・・彼がこういう風に笑うときは、大抵の場合とんでもないことを言い出す可能性が高い。笑顔の可愛さに誤魔化されつつも、その裏側に潜む何かを感じ取り始めていた部員たちは、内心で密かに身構えた。
おそらく詰めていた教師の殆どはもう帰ってしまったのだろう。忍び込むようにして入室した職員室はカラッポだった。
「誰もいねーじゃん」
「油断すんなよ?見回りとかに行ってるだけかもしれないしな」
二人以外の人のいない職員室はひどく静かで、翼と柾輝の声だけが、響くようにしてお互いに届く。
グラウンドからの生徒の声だとか、吹奏楽部の合奏の練習だとか、普段なら必ずどこからか聞こえてくる雑音も一切ない。
「すっげぇ静か」
言いながら翼は足早に正面の壁に作りつけられた棚に向かう。
「ホントにな。人がいなけりゃこんなもんなのかな、学校も」
答えながら柾輝もそのあとに続く。
小型のロッカーのような作りをしているそれは、開けると上下二段にわたり、鍵がずらりと並んでぶらさがっている。それらは言わずと知れた、飛葉中校舎内の、あらゆる教室・施設の鍵である。
しばらくじっと覗き込んでいたが、翼は目当ての鍵を見つけたらしい。細い指がそのなかからひとつの鍵の束をつまみあげ、柾輝に放って寄こした。
「よーし!行くぞマサキ」
「へいへい」
鍵には”プール”と書かれた小さなプラスチックのプレートがついていた。
水泳部によって掃除されたプールは水も綺麗に澄んでいて、サッカー部の面々はためらいもなく一斉に飛び込んだ。
「う〜わ!生き返る〜!!」
「直樹、おめーカッパみたいな泳ぎかたすんのやめろよ」
「ほっとけ!!」
飲むには温い水も、泳ぐとなれば冷たくて気持ち良い。
いつの間にか25m競争していた六助と柾輝が同時に壁に手をついた瞬間、頭上からプールのものより更に冷たい水が降ってきた。
「ぶわっ!」
「冷てっ」
二人の悲鳴を聞いて、ホースを手にした翼が爆笑している。
「翼っ、」
六助がすぐに仕返ししようとしたものの、手ですくっただけの水とホースからの勢いの良い水とでは勝負は見えている。
完全に負けてしまって、逃げを図った六助を容赦なく狙いながら、翼もプールサイドを移動していく。
その隙に、難を逃れた柾輝は水から上がり、コンクリートむき出しのプールサイドに寝そべった。
コンクリートは熱く焼けていて、背中がジリジリと痛くなる。
ふと目をやると、翼の目標は六助からフェンス向こうの向日葵に変わっていた。ホースの口を器用にすぼめて、霧状に水を吹きかけている。
向日葵と青空と飛沫の白と、笑っている彼がとてもまぶしいな、と思い、柾輝は少しだけ笑った。